広告にまつわる話ブログ

広告代理店でマーケティングを担当。好きな広告について語ります。

広告代理店の転職の原因は、5月病だった。

 

クーポン付きの無料で配る雑誌の営業で、面接でも忙し締切日は夜12時超えたりして、ある程度覚悟してました。勤め始めやりがい感じられて、楽しく、契約とれて回りもやさしかったです。

 

確かに早くて11時に帰宅といったハードな生活ですが、日々の成長を実感してよかったと思えたのです。

そうした充実の生活でも半年後は日本全体不況で、店を回っても広告料減らす話を聞くようになりました。

 

なかなか契約伸びなくて、以前より取れなく案った私を含む営業の子たちに上司は1日20軒回ってたところを40軒回るように指示出すようになったのです。

 

倍の件数におどろきつつ、まずは言われた通り回りましたが、それは地獄のはじまりです。40件など回れなくて、回らないと30分は叱られるのです。

 

会社はピリピリしており、会社がどんどん厳しくなってこれまでは活気あったメンバーも異変が出てきました。みんな痩せるか太るか変化がみられて、ねむれないなど異常きたしました。次々やめる中私は常にどうすれば辞められるのしか考えられなくなったのです。

 

そして、かえる時間も遅くなったのですが、会社の決まりで9時以降タイムカードおしてはならないといわれました。そしていくら働いても給与増えず、早く帰れないのはのろのろ仕事するからといわれました。

 

何事もやる気でなくなり、私は上司を呼び出してもう続けられないと訴えたのです。私の状況を見て上司は退職願しぶしぶ受け入れました。

 

我慢できないで逃げる私の姿勢を気に入らないらしくて、やめるまで後輩にこっそり私の悪口を言ったり、みんなの前で怒ったりなどを繰り返しました

 

。晴れて退職日は、同僚にお礼の品を渡しましたが、上司はしきりに営業中に買ったのか?と確認してきました。

 

そして休日に買いに行ったのですが、それを言ってもそうなの?とお礼もなかったです。その時心からやめてよかったと思いました。この会社が初めての就職先で、その後務めた職場は天国に感じられました。

 

あれは振り返ると、「5月病」だったのかもしれません。新しいクライアントを4月から受け持ち、死に物狂いで働き、燃え尽きちゃった感じです。

 

なにごとも、継続して働いていくには燃え尽き症候群にならないことが大事なのかもしれません